得意のモノマネを仕事に生かし出張紙芝居で園児に笑顔をこの記事をプリントする
1980年代のモノマネブームのころに、アニメ声優のモノマネで一躍有名に。現在はサザンオールスターズのトリビュートバンドのボーカルとして活躍する河村和範さん。本業は家具販売会社の社長で、昨年から幼稚園への出張紙芝居を始めています。趣味と仕事を両立して新たな活動を始めた河村さんが、人生を楽しむことの大切さを語ってくれました。
●モノマネからバンド活動まで
子ども時代から人を楽しませるのが好きだったのでしょう。「マンガ家になりたい」「声優になりたい」。いろんな夢に寄り道しつつ、目覚めていったモノマネの世界。大学生のとき、友達が応募したのを機にテレビに出演するようになり、社会人になってからも休日は芸人として活動。「賞品でサイパン、ハワイ、オーストラリアに行った」という強者です。
1990年、親友の結婚式2次会の余興として、楽器をひける知人縁者を集めてサザンオールスターズのトリビュートバンド「KAWAMURA BAND」を結成。モノマネあり歌ありのステージが話題を呼び、今ではプロのミュージシャンも含めた12人編成のバンドに成長。地域の催事での演奏や福祉施設の慰問などを続けてきました。
●趣味と仕事の垣根を越えて見えたもの
「バンド活動は趣味。むしろ意識的に仕事と分けて考えていた」という河村さん。しかし、その考えを変えるような出来事が昨年、起こりました。
未曾有といわれる不景気に消費が冷え切り、どんな手段を講じても結果が出ずに、経営者としてストレスを抱えていました。そんなときに「KAWAMURA BAND」としてハウステンボスのイベントに参加。熱狂のパフォーマンスに、最初は100人ほどだった聴衆が最後には1500人にまで増え、大いに盛り上がったのです。
「真面目に取り組む仕事に結果が出ず、自分が楽しんでやることに皆は共感してくれる。そんな矛盾を体験して、人の心を引きつけるものは何かを改めて考えました」
●園児に「紙芝居の社長さん」と慕われて
そんなことを考えていたときに「バザーなどの催事での演目に困っている」という幼稚園の悩みを耳にします。園児が喜ぶもので、自分も楽しめること…と考えて思いついたのが紙芝居。
ストーリーは絵本などを参考に考えて、絵はかつてマンガ家志望の腕前を披露。かくしてパフォーマー・河村さんと、カワムラ家具社員3人で「かわむら劇団」が結成されました。カワムラ家具の案内ハガキを配付させてもらう条件で、幼稚園で出張紙芝居を始めます。アニメの人気キャラクターのモノマネを駆使しての紙芝居が、園児に受けないはずがありません。
活動を続けるうちに、意外なことも…。
「紙芝居を見た園児たちが学習机を見に家族と来店され、“紙芝居の社長さんはいますか”と会いに来てくれるんです」
初めての経験に、うれしそうに目を細めます。
「不景気だ不景気だと言い過ぎて、楽しむ余裕を忘れていたのかもしれません。幼稚園での紙芝居を始めて、人が喜ぶと自分もうれしいという原点を思い出しました」
来年は「KAWAMURA BAND」20周年、そしてカワムラ家具は100周年。その節目の前年に原点に戻れた試み。子どもの笑顔を一番の楽しみに、河村さんの出張紙芝居は続きます。
出張紙芝居は15分程度のアトラクションで、道具類は劇団が持参。無料で随時受け付け中です。
PROFILE
河村和範(かずのり) 1963年福岡市生まれ。フジテレビ「紅白そっくり大賞」、テレビ東京「全日本そっくり大賞」、日本テレビ「ものまねバトル」などに出演、数々のグランプリを受賞。現在はサザンオールスターズのトリビュートバンド「KAWAMURA BAND」のボーカルとして九州を中心に活動。株式会社河村家具代表取締役でもある。
※ トリビュートバンドとは…先人の活動に尊敬の念を示しつつ、カバー曲などを独自のアレンジで演奏するバンドのこと
毒々しく、妖しげな支那海世界がこの秋、お潮井浜に帰ってくる!この記事をプリントする
新興住宅の中に田園風景が点在する野多目。この町に夜の戸張りが下りるころ、一軒のスーパーの二階、稽古場にその人はいました。劇衆「上海素麺工場」の脳みそとも言われ、劇団の座長であり、脚本、演出、役者など自由自在に変化する怪人・支那海東さんをインタビューしました。
●プロデビュー
昭和四十年代、日本中が学生運動に揺れる中、京都で学生生活を送っていた十八歳の支那海東さんは、国家や社会の理不尽さに疑問を感じて学生運動に身を投じていきました。しかし、運動に明け暮れる息子に業を煮やした実家から仕送りを絶たれ、困窮の末にたどり着いた所は、裏町のショー劇場でした。「ここで照明や音響の仕事をしました。たまたま舞台に上がって準備をしていたところを見た状況劇場(赤テント)の座長唐十郎さんに声をかけられ参加。巡業先のキャバレーで全身に金粉を塗って出たショータイム! いきなりのプロデビューでした」
●支那海世界(しなかいわーるど)
舞台の恐怖、恥ずかしさを、このとき全身で感じたと支那海さんは言います。
アングラ演劇の全盛期、体の中に潜む怪しげな魔物たちがうごめき始めました。演劇や舞台など、未経験の支那海さんは状況劇場の舞台の上で、自分の未知なる部分を追求し「支那海世界」を創り上げていきます。
●テント芝居へのこだわり
一九七八年、福岡に舞い戻り劇衆「上海素麺工場」を旗揚げ。一貫してテントでの公演にこだわり続けています。通常の劇場やホールでは使えない水や火、火薬、クレーンなど、重機を使った大掛かりな舞台が観客を魅了します。
「舞台が終わればそこには筥崎宮のお潮井浜があるだけ、まるで蜃気楼のよう。本当にここで芝居があったのかさえ定かではない。私にとってテント芝居は一夜限りの『夢の国家、観客は共犯者』」そう語る支那海さん。
「『支那海さんの頭の中って、どうなってるの?』ってよく言われますが、劇衆「上海素麺工場」の芝居は、日本の歴史的事件や国家社会への鬱積が、美しい音符の結晶となって舞台に爆破する。私の芝居を頭で考えてたら置いてかれますよ」と笑顔。
写真:ひっそりと佇む劇衆の稽古場の入り口
●稽古場が常設劇場へ
「そんな『上海素麺工場』も、野多目に稽古場を構えて十五年。今のところ追い出されそうもないので(笑)、昨年稽古場から常設劇場に作り変えました。これからはライブや映画の上映会などを定期的に開き、地域との接点を作ろうと思っています。劇団の若手にはテント芝居本番の緊張をここで体感、蓄積してほしい」と瞳を輝かせます。福岡市南区のこの町からさらなる強烈な刺激を放ってくれそうです。
●今秋公演『セカンド・ハネムーン』
この秋、筥崎宮お潮井浜で『セカンド・ハネムーン』が公演されます。数年前、肝臓を患ったベッドの上で、支那海さんが死の恐怖と生への執着心を綴った渾身の脚本です。
「人間本来の動物的本能? とでもいいますか。体にズキンとくる奇奇怪怪の世界。夢と現実の間で妖しく、美しく揺らめく舞台に観客はゾクゾクしますよ」と支那海さんは少年のようにニヤリと笑います。
上海素麺工場では、ただいま、役者・スタッフを募集中です。「私たちと一緒に暴れましょう。退屈なんかさせません」
写真:劇衆「上海素麺工場」の若手たちと
『セカンド・ハネムーン』
戯作/支那海東【日時】10月23日(金)・24日(土)・25日(日) 午後7時開演
【会場】筥崎宮お潮井浜(福岡市東区箱崎1-22-1)
【入場料】前売り券3500円
【問い合わせ】モダンラヴァーズ
電話番号070-5693-2221
http://www2.odn.ne.jp/~aaq65470/
劇衆上海素麺工場 稽古場・常設劇場/
福岡市南区野多目4-2-1 スーパーエース2階
電話番号092-565-8255
PROFILE
支那海 東(しなかい あずま) 1953年、福岡県大牟田市生まれ。
1971—1976年、唐十郎さん率いる劇団状況劇場(赤テント)に参加。
1978年、劇衆「上海素麺工場」旗揚げ。一貫してテント芝居にこだわり続け、多くのファンを魅了する。
仲間のたまり場カフェを目指して 団塊夫婦の楽しく新しい挑戦この記事をプリントする
左から日高さんと妻の和子さん、右から馬場さんと妻の万里子さん
窓際の席に腰を下ろすと、紺碧の海が迫ってきました。ここは、福岡定番のドライブコース、志摩町岐志の伊都ハイランドパーク正門横にある「ベイサイドカフェ」。子育ても終え人生のひと区切りを迎えた夫婦が、次なる人生を豊かに送りたいとの思いを込めて始めたお店です。「人の出会いを紡ぎたい」という二組の夫婦の、あくまでマイペースな挑戦をご紹介しましょう。
●意気投合して始めたカフェ
総合化学会社を早期退職し、故郷・糸島に戻って地域のことも考えるようになった日高榮治さん。東京で銀行員を勤め上げ、糸島の地でその後の人生を模索していた馬場邦彦さん。二人は第二の人生を考える人たちのネットの会「新現役の会」を通じて知り合い、人生に向き合う姿勢に共感。「新現役の会糸島」を立ち上げ、ともに活動を始めました。それが海の見えるコミュニティカフェ「bayside cafe」の運営です。
場所は伊都ハイランドパーク正門横のプールレストラン。平成十九年秋から四組の夫婦で始め、試行錯誤を経て今年四月から日高・馬場両夫妻で再スタート。
「夫婦二組と応援してくれる女性二人とで頑張っています。定番メニューは男性のお手製薫製のアフタヌーンティーセット。素材は地元の産直市で買い求めた鶏や豚、チーズで作ります。そのほかパン・スコーンなどの料理やケーキ、デザートは奥さんたちが担当。コーヒーも選び抜いた特製ですよ」と日高さん。
そして、何よりのもてなしは、目前に広がる引津湾の青い青い海です。
「一日中海を見ているだけで飽きません」と日高さんの妻、和子さん。馬場さんの妻、万里子さんは「仲間と料理したり、お客さまと会話するのが楽しい」。それぞれが、カフェの運営を楽しんでいます。
目の前に引津湾が広がるオーシャンビューのカフェ
●自然豊かな糸島でみんなの夢が融合
カフェには大きな目的が一つ。目指すは「仲間づくりと癒やしのサロン」、くだけて表現するなら「地域のたまり場」です。
「いま、リタイアした後に家に閉じこもる人も多いと聞きます。でも、誰もがきっとやりたいことがあるはず。ベイサイドカフェのような、仲間と語り合う場があれば、一歩踏み出せます」(日高さん)
カフェでは積極的に催しを開き、参加を呼び掛けています。その内容は、薫製やステンドグラス、コーラスといった仲間の得意分野を生かした教室だったり、ミニコンサートだったりと、さまざま。
「今日、人生経験豊かな者同士が学び合う地域のコミュニティカレッジをつくろうと、構想を練り始めたところ」と笑う夫二人。「こうして語り合えば実現の道も見つかるんです」と続けました。
●一丁やったろかの気概をもって
経営は順調とはいえません。月単位で、売り上げから経費を引いた額を分けますが、冬季は時給二百円という月も。しかし、日高さんは「継続が大切。お金には換えられないものがあります」。
そう語る目線の先には、糸島の海…。糸島の豊かな自然には、それぞれの思いを引き出し、融合させる何かがあるのでしょうか。
馬場さんもその一人ですが、糸島に魅せられて移り住む人は多く、皆さんは「なぜか引きつけられる“糸島マジック”」と呼んでいます。糸島という土地でなければ、彼らの出会いはなかったのかもしれません。
「定年退職は“一丁上がり”ではなく、定年を迎えてからが“一丁やったろか”。その後の二十、三十年という人生を楽しみたい。地域とつながり、人に必要とされなければ、やり甲斐にはなりませんよね」(馬場さん)
団塊夫婦のカフェ奮闘記は続きます。
看板メニューのアフタヌーンティーセット(1000円)。すべて皆さんの手作り
bayside cafe
福岡県糸島郡志摩町岐志1511-1
電話 092-328-3300
http://itoshimabaysideclub.com/
PROFILE
■日高榮治(えいじ)/1946年、旧満州生まれ、福岡県糸島郡岐志育ち。
18歳で糸島を離れ、会社勤務の後に53歳で早期退職。個人で起業する傍ら、新現役の会などの地域コミュニティに参加。
2007年に設立されたNPO法人NAP福岡センター理事などを務める。
■馬場邦彦/1947年、久留米市生まれ。
東京で銀行に勤務し55歳で定年退職、2002年に前原市へ。
NPO法人NAP福岡センター代表。
日高さんらと地域活動にまい進中。
今こそ福岡発のブランドに注目!「福岡アジアコレクション」開催この記事をプリントする
あのエビちゃんが、マリエが、スザンヌが、福岡のショーにやってくる……!
「福岡発のリアルクローズ」をテーマに三月二十二日、福岡国際センターで開催される「福岡アジアコレクション」が話題を集めています。中心となって活動している福岡アジアファッション拠点推進会議企画運営委員会委員長の、吉原一雄さんに、見どころを聞いてみました。
●“福岡ならでは”が目白押し
「福岡アジアコレクション」は、日常に着ることができ、ファッション性が高い服「リアルクローズ」をテーマに、福岡発ブランドの発信とビジネス機会の拡大を目的に実施されるものです。
主催するのは「福岡アジアファッション拠点推進会議」。
福岡をアジアにおけるファッション産業拠点とすることを目指して、関連企業や団体、教育機関、行政などで構成する産学官の連携組織で、吉原一雄さんはその企画運営委員長。
吉原さんは二十年もの間、東京でファッション業界の仕事や教育に携わってきました。
「福岡のファッションセンスの評価は高い。大手ブランドの商品を企画、制作しているメーカーも多く、服飾の実力もあるんです」。しかし、その実力を地元の消費者が知らず、地場ブランドが活力に欠ける現状も指摘します。
「このコレクションを機に、福岡の地場ブランドの認知度を高め、実力をもうワンランク引き上げたい」
デザインコンテストには福岡を中心に全国から三百点以上もの応募が集まりました。
入賞作品は福岡発オリジナルブランドとして発表。全国区のブランドとともに、日本を代表するトップモデルが着て歩きます。
●出展された服はネットで販売も
“見せる”だけでは終わりません。会場ではメーカーとバイヤーが商談できる展示商談会が行われます。「ショーでの消費者の反応をバイヤーが確かめながらメーカーと商談できるのも、新たな試み」
さらに、コレクションが終わった後もショーの動画をサイトで見ることができ、出展された服はネットで販売も。
地元のブランドを地元の人々に着てほしいという気持ちを込めて、福岡天神・大丸は臨時ショップ「FACo」を開設する予定です。
ブランド発信だけでなく、販売する仕組みまでを整えたコレクションは、産業振興の面でも注目を集めています。
●地方都市のおおらかな魅力
長年の経験値を武器に、しかし常識にとらわれない柔軟さでコレクションを進めている吉原さん。ふだんは教育者として、大村ファッションデザイン専門学校の学校長を務めています。
一番の教育方針は、「自分で考え、行動できる人材を育てる」こと。学生が自分のコアコンピタンス(強み)を発揮できる企画を立てて、実際に自分の力で実現させる産学協同プロジェクトなど、ユニークな教育を行っています。このプログラムでは学生は企画にとどまらず、独力で企業と交渉します。
今年は、大手自動車メーカーとタイアップして、車のショールームでのファッションショーなどが実現しました。「専門学校の学生の話に企業が耳を傾け、学生の力を認めてタイアップしてくれる。それも福岡の良さだと思います」福岡という地方都市のおおらかさは、いろんな可能性に転じることができる。それはファッション業界でも言えるはず。
「福岡っていい地名なんですよ。アルファベット表記してOを付けたら“FUKUOKA|O”、服を買おう(笑)」
コレクションの開催を心待ちにしましょう。
昨年春に行われたプレ・ファッションショーの様子。今回も楽しみです
◎日時:3月22日(日)
1stステージ午後1時~、
2ndステージ午後3時~、
3rdステージ午後5時~
◎会場:福岡国際センター
◎チケット:SS席7000円※完売
S席4500円、自由席3500円
蛯原友里、押切もえ、マリエ、吉川ひなのなど、日本のファション界をリードするモデルが出演。コンテストで入賞した福岡発のブランドをはじめ、小倉優子、スザンヌ、相沢真紀とのコラボブランドなどのショーが華やかに繰り広げられます。
http://www.fukuoka-asia-collection.com
PROFILE
吉原一雄 1961年 大分県佐伯市生まれ。
長崎造船大学建築学科を卒業後、当時全盛期だったパルコ、丸井のDC(デザイナーズ・キャラクターズ)ブランドのショップデザインを手掛ける。
東京のクリエーター育成スクールの学校長を経て、大村ファッションデザイン専門学校の学校長に就任。
福岡アジアファッション拠点推進会議 企画運営委員会委員長。
著書『快適簡単生活百貨』法研
バスケへの情熱が人と人をつなぐ 愛される県民球団を目指してこの記事をプリントする
世界に通用するリーグを目指して設立されたプロバスケットボール「bjリーグ」。二〇〇七年には、バスケ人口が多く、学生のレベルも高い福岡市にプロチーム「ライジング福岡」が誕生しました。球団代表を務めるのは、福岡の顔といえばこの人、山本華世さん。県民球団を目指し、本当の地域密着を志すその活動や、チームへの思い入れを伺いました。
●「球闘技」の魅力
「バスケットボールって面白いんですよ~。私は美しい格闘技、『球闘技』だと思っています」
小学生のときにミニバスケを始め、中学高校とバスケットボールを続けた華世さん。バスケの面白さ、ライジング福岡の魅力を聞くと、実にいきいきと語り始めました。
「外国人選手がいるbjリーグは、NBAと変わりません。身長一八〇に満たない選手が三のゴールにダンクしたり、二級の選手の間を小さな選手がスピーディーにくぐり抜けてシュートを決めるときは、鳥肌が立つほどの快感です」
試合はMCが分かりやすく実況中継。作戦タイムや休憩には、チアリーディングや観客も参加してのゲームなどを盛り込み、エンターテインメントも追求しています。
「バスケ観戦は初めてという人も、楽しかったと笑顔で帰られますね」
得点王のパーカー選手 チームは1月現在ウエスタンリーグ5位
●選手に教えられた 本当の「地域密着」
その笑顔を生むために何かと苦労も多いようです。県民球団を目指して県内各所の体育館で試合を行っていますが、条件に合う会場や練習コートの確保、チケットの販売促進、試合当日の運営、スポンサー探し…と、華世さんたち裏方の仕事は尽きません。常勤スタッフは四人しかおらず、多くの活動は、チームを応援するボランティアに支えられています。それほどみんなを夢中にさせるもの。それは「選手を応援したい」という純粋な気持ちです。
実は、球団代表の依頼があったとき、イメージキャラクター程度にしか考えていなかったという華世さん。ですが、チーム最年長の川面剛選手に会って変わりました。
「福岡県出身の彼は、バスケが盛んな福岡にプロチームが必要だという信念のもと、職業チームのオファーを断り、バスケの裾野を広げるためにたった一人で子どものバスケ教室を続けていたんです。本当の地域密着とはこういうことだと、心を打たれました」
この活動はさらに展開をみせ、選手は試合やトレーニングの合間をぬって教室に参加するほか、最近はバスケ教室だけでなく、学校の体育の授業にも選手を派遣するように。
「私自身も、精神的に育ててくれたバスケに恩返ししたい。子どものスポーツ離れも心配ですが、同時に、悔し涙を流せるくらい真剣に取り組めるものに出合ってほしい」
子どもにバスケットボールの楽しさを教える選手
●全戦全焼のプレーに
心の栄養をもらう
さて、最後にイチ押し選手を聞いてみました。
「川面は日本バスケ界のカリスマ的存在です。身長一七五、それも三十四歳でダンクする選手はそうはいません」「加納督大と千々岩利幸は九産大出身。二人が良きライバルとして競い合えば、チームも向上すると思う」。選手のことを語る華世さんの表情は温かく、まるで母親のよう。
「スローガンは全試合燃焼を意味する『全戦全焼』。試合に来ていただければ、きっと心の栄養になります。ぜひ選手たちを応援してください!」
※詳しくはライジング福岡球団公式ホームページにて
http://rizing-fukuoka.com/
「ライジング福岡」のホームゲームのチケットをペア5組10名様にプレゼント!
読者プレゼントからご応募下さい。
PROFILE
山本華世
1964年、福岡市生まれ。中村学園短期大学卒。
地域テレビ番組のキャスターなどでおなじみ。
1993年、ローカル番組の企画として、妊娠から出産までをドキュメントで伝えた「山本かよの妊娠・出産日記」で日本民間放送連盟賞・テレビ部門最優秀賞を受賞。
2007年、bjリーグ「ライジング福岡」の球団代表に就任。本人もかつてバスケ選手で、国体出場経験もある。
http://kayo-sun.net/
プロとして社会とつながる芸術集団を一人のファンとして支えるためにこの記事をプリントする
知的障害者通所授産施設「JОY倶楽部プラザ」(福岡市博多区)にはプロとして音楽活動をする「ミュージックアンサンブル」とアート活動をする「アトリエ ブラヴォ」の二つのグループがあります。彼らが届ける音楽とアートはとても純粋。だからこそ聞く人、見る人の心を揺さぶります。その活動を施設長の伊東明子さんに伺いました。
●アーティストを育てる授産施設
平成十四年に設立された「JОY倶楽部プラザ」。長年、障がい者歯科に取り組んでいる理事長の緒方克也さんが、海外で障がい者の芸術集団を見たことがきっかけとなって作られました。かつて重度心身障がい児(者)施設に勤務していた施設長の伊東さんは、緒方理事長と出会い、「ミュージックアンサンブル」の一ファンとして、彼らと触れ合い、支援するうちに、施設長に就任することになりました。
「授産施設といえば単調な仕事をすることが多いのですが、緒方理事長は楽しくのびのびとした生き方ができる仕事をさせたいと芸術活動を選びました。その姿勢に私も共鳴し、この仕事をさせていただくことになりました」。今では「ミュージックアンサンブル」は年間約五十件もの公演をこなし、「アトリエ ブラヴォ」は作品展を開催したり、グッズを販売したりして収益を上げています。演奏活動や制作活動で得たお金は、月給として彼ら自身の収入になります。
●芸術を通して人の役に立つ
「ミュージックアンサンブル」は二十七人。各自、シンセサイザー、パーカッションなどを受け持ち、日に四時間練習します。レパートリーはクラシック、ポップス、オリジナルなど約六十曲。音楽を奏でる喜びが体からあふれ出てきます。できないときは泣きながら練習を続け、曲が仕上がると抱き合って喜ぶ彼ら。その演奏を聞いていると、体の内側に温かい火が灯ってくるようです。
「昔落ち込んでいるときに彼らの演奏を聞いて、彼らが一生懸命やっているのに、自分は何をやっているのかと涙がボロボロ出たことがあります。私にはどんな薬よりも効くビタミンでした。彼らは芸術という手段で人の役に立つことができるんですよ」と伊東さん。今では演奏会に通うファンも増えました。
「アトリエ ブラヴォ」の八人の仲間たちは、それぞれ作りたいものを作り、描きたいものを自由に描いています。既成の観念に影響されがちな健常者の作品に比べて、その作品は自由奔放で発想がユニーク。彼らの作品はカレンダー、絵本、Tシャツ、ポストカードなどに製品化され、今では注文も入るようになりました。
「アートや音楽に障がいは関係ありません。彼らが望むように生きてもらいたい。そして私はそれを応援したいんです。彼らは天才集団。そこに凡才の施設長がいてもいいかなと」
●地域の中での生活を目指して
殺伐とした社会だからこそ、障がい者の存在は大きいという伊東さん。「彼らは人の手助けが必要です。彼らは私たちに人のために何かしてあげたいという気持ちを思い出させてくれるんです」
就任して最初に取り組んだのは送迎車の廃止。家族の不安も大きかったのですが、スタッフが何度も行動を共にしてバスの乗り方を教えることで問題をクリア。今ではほとんどのメンバーが元気よく通勤。「彼らが外に出たら、迷惑をかけることも。そのとき謝るのは私の仕事。そこで地域の人とより親密な交流が生まれます。そんな優しい地域の中で生活できたら、と思っています」
釜山—福岡 友情年
「海を越え、共に生きる喜びと感動のコンサート」
JОY倶楽部ミュージックアンサンブル
釜山公演(2009年2月予定) 協賛金募集
主催 釜山広域市施設管理公団、(株)西日本エルガーラビル
協賛金 企業:一口5万円 個人:一口1万円
釜山広域市と福岡市の行政姉妹都市締結20周年を記念し、釜山市民会館とエルガーラホールは2月に記念公演を開催します。出演者の旅費に充てるための協賛金を募集中です。
JОY倶楽部では「アトリエ ブラヴォ」の仲間たちの作品をグッズにして販売していますので、お問い合わせください。写真は2009年度のカレンダー。
JOY倶楽部
福岡市博多区東月隈3-27-1
電話番号092-504-9371
PROFILE
伊東明子
大分県臼杵市生まれ。1970年日本バプテスト看護学院卒業。1970年—1973年日本バプテスト病院勤務。1976年—1996年久山療育園勤務。1996年九州産業大学商学部卒業。1997年—2001年福岡県看護協会勤務。2004年介護支援ネットワーク九州勤務。2005年JОY倶楽部施設長就任。
http://www.joy-club.jp
「天神さん」とあだ名された少年時代から 古代のロマンに心躍らせる考古学者この記事をプリントする
「天神さん」とあだ名された少年時代から
古代のロマンに心躍らせる考古学者
昭和四十三年に福岡県教育委員会によって開始された大宰府史跡発掘は今年で四十周年を迎えました。昭和四十八年には九州歴史資料館が開館し、発掘調査を引き継ぎ、その結果、大宰府政庁跡などが整備され、人々が古代へ思いを馳せることができる貴重な場所となっています。今年四月、九州歴史資料館の館長として着任した西谷正さんに、節目を迎えた大宰府発掘と考古学の楽しさについて伺いました。
●太宰府に来た「天神さん」
西谷正館長と考古学との出会いは小学校五年生のころ。当時、大阪の高槻市に住んでいた西谷さんは、近くの天神山でチャンバラごっこをしていたときに弥生時代の土器の破片を拾いました。それが“考古学”に足を踏み入れるきっかけでした。その後、毎週のように土器拾いに現れ、すっかり天神山の主となった西谷少年は、この山に“北山の天神さん”と呼ばれる上宮天満宮があったこと、西谷さん自身の勉強熱心と歴史好きだったことから周囲に「天神さん」とあだ名されるようになりました。
「天神さん」は長じて、本当の天神様のお膝元に来ることになりました。昭和四十四年に福岡県教育委員会の技師として福岡県各地の発掘調査に従事、開館したばかりの九州歴史資料館で出土品の整理をすることになったのです。その後九州大学で教鞭を執り、太宰府との直接的な関わりは減ってしまいました。そこに飛び込んできたのが今回の館長就任の要請でした。「三十五年振りに古巣に帰ってきた思い。資料館に来る日が楽しみで、いつも館内をうろうろしています」と館長は笑います。日本はもとより韓国、中国での調査、会議・講演など多忙な毎日を送る館長ですが、週三日は必ず館に在席しています。
写真:発掘した土器の修復の様子
●大宰府発掘 四十年の成果
同館では大宰府史跡発掘四十年の成果を社会に還元しようと、この秋、シンポジウムなど、さまざまな記念事業を開催。かつて土地開発と史跡保存で揺れた町で、保存の大切さを説いて回った先達とそれを受けとめ後押しした太宰府の人々の軌跡をたどり、その成果を問う貴重な機会となりました。四十年間の努力が実り保存された政庁跡は、今では市民の誇りとなり、憩いの場・観光資源としても大切にされています。
来年からは、いよいよ長年の夢だった政庁跡の蔵司(くらのつかさ)の調査に着手します。「大宰府の大蔵省ともいうべき蔵司からいったい何が出てくるのか、今から楽しみです。このように貴重な文化財は、次の世代に引き渡していくことが大切。いずれは政庁跡と同じように人々が憩い、学習できる場所にしていかなくては」。世の中を長期的に俯瞰する考古学者の目は揺るぎません。
西谷館長は、史跡を守るためには調査の結果を発信することが大事だと言います。「特に子どもたちの体験学習や出前講座などは積極的に実施しています。私自身も子ども時代に考古学の楽しさを知ったので、子どもたちは特に大事にしたいんですよ」。古代のロマンを追う「天神さん」は、子どもたちと古代をつなぐという大きな夢に向けて取り組みを続けています。
写真:現在の大宰府政庁跡
九州歴史資料館は平成22年秋以降、小郡市へ新築移転する予定です。福岡県全体の埋蔵文化財センター機能が加わり、一層規模が大きくなります。子どもたちの体験学習の設備も拡大して、より身近なものになります。
※文中、現在の太宰府市などを指すときは「太宰府」と、古代の遺跡「大宰府政庁 跡」などを指すときは「大宰府」と表記しています。
PROFILE
西谷 正 (九州歴史資料館館長・九州大学名誉教授)
1938年、大阪府高槻市生まれ。京都大学大学院修士課程修了。
奈良国立文化財研究所研究員、福岡県教育委員会技師、九州大学文学部教授、佐賀県立名護屋城博物館初代館長、伊都国歴史博物館初代館長などを歴任。
各地の講座・講演の講師を精力的に務める。著書に『古代朝鮮のあけぼの』『東アジア考古学辞典』など。
九州歴史資料館
太宰府市石坂4-7-1
電話番号092-923-0404
開館時間/9:30—16:30(入館は16:00まで)
休館日/月曜日(祝日の場合はその翌日・12/28-1/4は休館)
入館料/無料
http://www.fsg.pref.fukuoka.jp/kyureki/
物書きの魂を共有して 地域に向き合う金婚夫婦この記事をプリントする
物書きの魂を共有して 地域に向き合う金婚夫婦
夫は新聞記者、妻は児童文学作家。夫が退職した後は地域活動にまい進してきた夫婦が、金婚式を前に初めての共著を出版しました。夫婦ともに第二の故郷という福岡の筑紫。その戦中の記憶を呼び覚ました著書がいま、静かに反響を呼んでいます。十一月二十二日「いい夫婦の日」を前に送るインタビューです。
●遅咲きの妻
自称「完全仕事人間」の夫は、新聞記者として九州各地を飛び回りました。その妻は夫を支えた…だけではありませんでした。習わぬ経をそらんじる門前の小僧とばかりに、後輩記者を指導する夫の言葉に耳を傾け、四十歳で執筆に挑戦。児童文学作家となるのです。
それぞれが経験を重ね、共に七十代、物書き夫婦歴三十年にして初の共著。『筑紫れくいえむ』は終戦間近の昭和二十年八月八日、西鉄電車が米軍機による銃撃を受け、六十四人もの命が失われた事件を追いました。
「六十年以上たった今も事件について口を閉ざす人がいる。戦争は決して昔の話ではないと思ったのです」と美彦さん。南筑中学(現久留米市立南筑高校)の生徒が高良隊の名で電車乗務に動員されたこと、山家の洞窟に西部軍司令部が移動していたこと。地道な取材を重ねてさまざまな事実を知り、ある結論を導きますが…。
●五十年目のけんか
本の中には時折、夫婦が話し合う場面が登場します。「(事件を)追ってみる?」「時間がたちすぎている。意外性がない」「でも、自分たちが住んでいる町のことよ」。常に社会的意義を問う夫、暮らしを軸に置く妻。互いの感性や視点で論点を整理していくくだりは、読者の意識をも広く深くしていきます。
同じ物書きとはいえ視点もアプローチの仕方も文体も違い、取材・執筆中は衝突を繰り返したそう。その様子を二人は「五十年目の大げんか」と笑います。一方で、ひろ子さんは要所を押さえた夫の取材力に新聞記者の実力を再認識。美彦さんは、惨劇の回想にとどまらず一歩踏み込んだ本になったのは「妻が沖縄戦を取材した思い入れがあったから」と。五十年目のけんかは「五十年目の発見」でもありました。
●NPO活動も二人で
二人は「共にNPOで活動した十年があったから、共著がある」とも。
身近な人が心の病を患ったのを機に、経済的、社会的に閉鎖された精神障害者の状況を知り、筑紫地区精神障害者生活支援センター「つくしぴあ」や作業所の設立に尽力しました。患者とその家族を支え、周囲の無理解と戦う日々に、美彦さんは妻の底力を知ります。
「毎日ご飯を作り、子どもの面倒をみてきた妻は、地に足が着いている。活動が停滞したり、いざという大事なときに揺るがない」
現在、施設の運営は社会福祉法人に一任。一つの区切りを経た夫婦のあらたな出発点、それが共著だったのです。
●理解者、そして仲間
『筑紫れくいえむ』は思わぬ反響を呼びました。福岡市に住む八十七歳の女性からは、突然音信不通になった親友がこの爆撃で亡くなったと知り、六十年を経て胸のつかえがとれたと便りが。高良隊の皆さんは何と同窓会を開いたそうです。
「この本をきっかけに、人と人がつながったことが一番うれしい。さらに戦争や平和について考える人がいたなら、少しは役に立ったのかな」と美彦さん。
すでに次の共著の取材も始めています。題材は、大分県保戸島で起こった米機による小学校爆撃、戦時中の出来事です。そして、二人ともに心の問題という大きなテーマを視野に入れています。
最後に、あらためて質問したくなりました。よわい七十を越して、一つのことに同じ志をもって取り組める。そんな夫婦でいられる秘訣は何ですか?
ひろ子さんが「取材や執筆で家事がおろそかになっても何も言わない夫は、最大の理解者にして同志、そして仲間です」と言えば、美彦さんは「互いに独立した人格ですから。僕は酒ばかり飲んでいたが、今も元気なのは食事なんかがよかったんでしょう」と語ります。独立した人格として互いの人生に影響し合い、今の自分がある。そして、夫婦の間にあるのは、月並みですが「感謝」という淡くも確かな気持ちに違いありません。
写真:「つくしクローバー会」は11月4日、5日に行われた
「西日本新聞暮らしの文化祭2008」にも出展
■えりあす内 関連記事
赤煉瓦文化館「誕生百年祭」をこの記事をプリントする
赤煉瓦文化館「誕生百年祭」を福博の近代化に触れるきっかけに
「福岡市赤煉瓦文化館」は、二〇〇九年二月に誕生百年を迎えます。建物の百歳を祝うべく、有志が市民の会を結成、記念イベントに乗り出しました。その会長を務めるのは、“郷土愛の人”長谷川法世さん。
どんな思いをもって、博多部から橋を渡ってやって来るのでしょうか。
●博多部を意識したデザイン。その真意は?!
「福岡部のことは知らんから、勉強したよ」
そう笑う法世さんですが、“法世流赤煉瓦文化館の成り立ちの解釈”は、実に想像力の豊かさを感じさせるものでした。
一九〇九年(明治四十二年)に、日本生命保険株式会社九州支店の社屋として竣工。場所は、那珂川を境にした商人の町・博多部と城下町・福岡部をつなぐ、西中島橋のたもと。江戸時代の唐津街道であり、敵の侵入に備えた枡形門があって、福岡藩の入口でした。また、福岡が市になったとき以来、道路の起点(現在の西中洲公園内)の前でもあります。
「当時の一等地ですよ」法世さんは続けます。
「福岡部の建物なのに、玄関は、経済的に優勢だった博多部を向いとるでしょう。でも、建物はいろんな方向を向いてる。あらゆる方向に目を配り、生命や財産を守りますという気概の表れかな? 当時、この場所を選んで社屋を建てた日本生命の人たちの意気込みを考えると面白い」
竣工から百年。曰く「百年もたつと、建物も人格をもったキャラクター」になりましたが、この建物が東京駅の設計で有名な辰野金吾の作品で、国の重要文化財だということは意外と知られていません。
「町の人々にとっては当たり前すぎる存在なのでしょうが、今の福博の発展を表す建築物の一つ。百年という節目の年を、故郷の歴史や文化に触れるきっかけにしたい」と語ります。
●文化を選ぶ楽しみ
法世さんは博多部生まれの博多部育ち。上京して漫画家となり、『博多っ子純情』などのヒット作を生み出しました。
「人は生まれた土地で次の世代を生み育て、文化を引き継ぐもの」と語る法世さん。帰郷して以来、自らが博多の文化を引き継ぐ担い手に。町に残る古い建物についても「現存するものは残していこう」と呼びかけます。
「壊すのは簡単。でも、壊して新しい建物を建てたとして、再び百年も親しまれる建物が出来るのか。スクラップ&ビルドの時代だからこそ、いろんな建物があった方がいい。文化を選べる街がいいよね」
「誕生祭」では、来年一月二十四日(土)に行われる「誕生百年祝賀式典」に向けて、写真展や、町歩きイベントなどを連続的に催し、福博の百年を見守ってきた建物を維持し活用していく大切さをも伝えていきます。
…そう書くと難しそうですが、想像力豊かな法世さんにかかると、やはり、面白くなるのです。
「日本が鎖国を解き、海外の文化を取り入れ始めて、明治四十二年には立派に日本人の建築家が育っていた。でも、当時はレンガの建物なんて珍しかったろうから、現場で働いた職人は不思議やったろうね。“何やこの箱みたいな石は。どげんなるとや”そんな声が聞こえてきそうじゃない?」イベントは十月からです。
PROFILE
長谷川 法世 1945年、福岡市博多部生まれ。福岡県立福岡高校卒。68年に『正午の教会へ』で漫画家デビュー。代表作に『博多っ子純情』(第26回小学館漫画賞受賞)、NHKの連続テレビ小説『走らんか!』の原作など。現在「博多町家」ふるさと館館長のほか、博多町人文化連盟理事長を務めるなど、まちづくりや地域文化継承に尽力している。06年に福岡市文化賞、07年に福岡県文化賞を受賞。
「赤煉瓦文化館誕生100年祭」イベント情報
●赤煉瓦オープンカフェ
【日時】10月4日(土)—5日(日)午前11時—午後6時
赤煉瓦文化館の雰囲気ある中庭にカフェをオープン
【入場料】無料(飲食費別)
●「街を彩る赤煉瓦」展
【日時】10月11日(土)—19日(日)午前10時—午後8時
(最終日は午後6時まで)。赤煉瓦文化館2階
【入場料】無料
写真家・藤本健八さん撮影の同館の写真パネル展示など
<イベントの問い合わせ先>
福岡市赤煉瓦文化館「誕生100年祭」市民の会
Eメール info@akarenga100.jp
※イベントの詳細はホームページをご覧ください。
http://www.akarenga100.jp
現代版地元密着型歌舞伎 劇団ギンギラ太陽′sこの記事をプリントする
見れば福岡がもっと好きになる!“現代版地元密着型歌舞伎”
ソラリアが、西鉄バスが、三越が…!! 福岡に住む人なら誰もが知っている建物や乗り物をキャラクター化した「かぶりモノ劇」で人気を集める劇団ギンギラ太陽′s。そのキャラや物語はこの人の頭の中で生まれました。劇団主宰であり、脚本、役者、かぶりモノ製作をも務める大塚ムネトさん。この秋、最新作『天神開拓史』で地元劇団初の一ヵ月公演に挑戦します。
●地産地消の芝居を
中洲の玉屋さんとマダム大丸はライバル同士。到津遊園、香椎花園、だざいふ園は三兄弟…??
建物や乗り物を擬人化した人なきヒューマンドラマが、ギンギラ太陽′sの真骨頂。目指すは、笑って泣けて、ホロリとなる地産地消エンターテインメント。
「“現代版地元密着型歌舞伎”ですよ。昔の歌舞伎は起こった事件がすぐ芝居にかかったでしょ。でも、歌舞伎でさえ劇中では名前は変えたけど、ギンギラは実名のまま。うちの方が過激かも(笑)」
その出発点には、東京ではなく、福岡で演劇活動をするために、「福岡でしかできない芝居とは何か。自分にしかできない表現は何か」を探し続けた十年がありました。
「悩んでいた時にふと街を見ると、にぎやかで。ド真ん中に金ピカのビルが建ち、ソラリアができ…。何が起こってるんだ、天神!という感じ」
この元気な街を題材にしたら面白い。建物を象徴的にかぶりモノにしたら分かりやすい。ギンギラが生まれた瞬間です。
●街は生きている
街を題材にした舞台の面白さは、大塚さんの綿密な取材にあります。
現場には必ず足を運ぶのがポリシー。食べられる物は食べ、においをかげる物はかいで、五感を総動員して現場を感じ、関係者をたどって話を聞く。そうするうちに、人々の思いが彼の中で一つになり、「頭の中のキャラクターが自然にしゃべり始める」のだとか。
「福岡のすごいところは、街のことを真剣に考える人がたくさんいること。そういう人たちの思いが繋がって“いま”があります。その思いを知ると、街と自分との感覚的距離感がグッと近くなる。街が大好きになる」
きっかけは天神流通戦争でしたが、これまでの取材活動から興味の幅はさらにワイドに。スカイマークの新規参入にヒントを得た『翼をくださいっ!さらば YS—11』や、水害から復興した嘉穂劇場での上演作『チョコレーツ・オブ・チロリアン』などの多彩な演目が生まれ、ひよこ侍、最後の国産飛行機YS—11型機といったユニークなキャラが誕生しました。
「街は日々動いている生き物。“一度描いたら終わり”じゃない」と大塚さん。どの物語も彼の中ではずっと続いています。
●地元劇団前人未踏の一ヵ月ロングラン
『天神開拓史』も一九九八年の初演以来、地道に取材を続けている舞台です。西鉄百周年記念公演となる〇八年版は、「キャラがしゃべり始めるまで」に 一年以上はかかった力作。西鉄のエピソードを軸に明治から平成までを追い、九州一の都会である天神がいかにして出来上がったかを描きます。
天神が発展する基礎となった博軌電車(西鉄の前身の一社)。鉄道の敷設に私財を投じたのが、渡辺通の名前の由来でもある呉服商の渡辺与八郎さん。「当時は天神一円が田んぼ。タヌキしか乗らんばいと揶揄されながら鉄道を造った彼には、未来が見えていたのかも」
戦時中に一年だけ活動した西鉄野球軍の存在。昭和二十年六月の福岡大空襲の際、西鉄消火班が本社や自分の家を顧みず、駅を守り通したこと。歴史に埋もれたエピソードを知るにつれ、物語はふくらんでいきました。
『天神開拓史』は、天神の未来を信じて挑戦した人々の物語。ギンギラも、地元劇団が前人未踏の一ヵ月ロングラン、一万人動員に挑戦します。
『天神開拓史』は十月二日(木)—十一月三日(祝)まで、西鉄ホールで上演。
PROFILE
大塚 ムネト 1965年、福岡県小郡市生まれ。福岡大学付属大濠高校時代に演劇部にて活動を開始。97年にギンギラ太陽'sの主宰となる。99年から西鉄ホールをホームグラウンドに活動。『天神開拓史』『路線なき戦い』『ひよこ侍 隠密和菓子旅』『天神開拓史2003』など上演多数。05年、第42回ギャラクシー賞ラジオ部門優秀賞受賞。同年に東京のパルコ劇場で『翼をくださいっ!さらば YS−11』上演。07年、福岡県文化賞奨励部門受賞。
http://www.gingira.com
西鉄創立100周年記念
ギンギラ太陽's・西鉄ホール提携1ヶ月公演
『天神開拓史』
作・演出/大塚ムネト
【日時】10月2日(木)~11月3日(祝)
※土曜は午後2時から、同6時半からの2回公演。
日曜・祝日は午後2時から。
平日は午後7時半から。詳細は確認を
【会場】西鉄ホール(福岡市中央区、ソラリアステージ6階)
【入場料】全席指定4000円(消費税込み)
【問い合わせ】ピクニック 092(715)0374
http://www.picnic-net.com
北京五輪へ。地元・福岡の応援を追い風に青島の海を走る!この記事をプリントする
「念願のオリンピック。今からワクワクしています」。笑顔で語る石橋顕(あきら)さんは、牧野幸雄選手とともに北京五輪のセーリング49er級に出場します。三大会目の挑戦での切符。その陰には、大きな企業の支援もなく個人で五輪出場を目指す彼の熱意に動かされた、地元・福岡の友人たちの支えがありました。幾多の人の思いを力に変えて、五輪へ挑みます。
●届かなかったアテネ
「ヨットに初めて乗ったのは修猷館高校に入学した春、部の勧誘で。ヨットは風の力だけで走る。動力音もなく、スーッと海の上をすべっていく感覚が、不思議でした」
このとき、入部の決め手になったのは「初心者が多く、部をもつ高校が少ないヨットなら、インターハイも夢じゃないと思って」。大舞台へのあこがれは、少年のころから強かったのかもしれません。
負けず嫌いと悔しさを力に変える性格から、メキメキと頭角を現し、石川国体では少年男子FJ級優勝も。早稲田大学ヨット部を経て、就職。配属された宮城県では国体強化選手に。しかし、あくまで「高いレベルでの仕事とヨットの両立」を柱としていました。
その価値観を、オープン参加した九九年の世界選手権で覆されます。初めての国際大会、世界のトップとのスリリングなレース。「彼らは、その場で結果を残すことに懸けている。自分もすべてを懸けて勝負すれば、五輪も世界も夢じゃない」
会社を退職。アルバイトをし、貯金を崩し、チームのTシャツを作って販売しての資金調達。まさに総力戦で目指した五輪出場ですが、〇二年の世界選手権470級で十一位に入り、自ら日本の五輪出場枠を勝ち取るも、代表の座を逃します。
大きな挫折、喪失感。
そして〇五年、故郷の海へ戻りました。
●チーム・ビリーブのサポーターは世界
石橋さんは世界トップ10のレベルに達していた470級から、未知の49er級に転向します。新しいパートナー、牧野選手とともに、北京五輪出場とメダルを目指してチームを結成。支援してくれるすべての人と一緒に、との思いを込めて名前は「Team Believe」。
ヨットが盛んな福岡市は、練習の環境は整っています。課題は、三百万円はするという艇の購入費や海外遠征のための資金繰り。ここで博多っ子の熱き心が彼を支えます。母校・修猷館の同窓会が中心となって後援会を発足し、Tシャツ販売などの資金援助の活動を展開。人が人をつなぎ、地元企業の支援も増えました。また、ホームページで活動を知り、Tシャツを買う人も。「こんなに心の熱い、多くのサポーターに支えられた選手は、世界にもいない」と石橋さん。支援の輪はいまも広がっています。
●四月に国際大会初優勝上り調子のまま北京へ
転向して三年目の昨年末からレースで手応えを感じるようになり、今年一月に行われた世界選手権では日本人最上位の二十七位。ついに悲願の五輪日本代表候補に。四月の国際大会では初優勝。「レースのたびに上達しているのを感じる」。世界ランク二十七位は五輪出場国の中ではほぼ最下位ですが、上り調子の今、「ハイレベルの戦いは何が起こるか分からない。目指すのはメダル」と、目を輝かせます。
「僕はアテネへの切符を逃したときに一度、モチベーションもやる気もすべて失いました。北京に向けて動き出せたのは、人との出会いのおかげだったと思う。僕は一人じゃない、家族や多くの人に支えられている。福岡代表という思いをもって、熱い気持ちで最後まで戦ってきます」
北京五輪、セーリング49er級のレースは八月十日から始まります。
PROFILE
石橋 顕 1973年、福岡市生まれ。修猷館高校、早稲田大学でヨット部に所属。就職するも99年、オリンピック出場を目指すために退職。02—04年470級の日本代表。05年に49er級に転向。熊本県出身の牧野幸雄選手とペアを組み、Team Believeを立ち上げる。北京オリンピック・セーリング49er級の日本代表。福岡ヨットクラブ所属。http://believe49er.net/
セーリング49er級
ヨットの全長が4.99mあることから「49er(フォーティーナイナー)」と呼ばれる、2人乗りの競技。時速約45kmの高速で、風下と風上に浮かぶ2つのマークを回るコースを2周して着順を競う。
1日3—4レースを数日間行い、総合順位でチャンピオンが決まる。
※北京オリンピックのセーリング競技は8月9日—21日の予定、会場は青島。
ホームレスの自立を応援する「ビッグイシュー福岡サポーターズ」この記事をプリントする
「ビッグイシュー福岡サポーターズ」は二〇〇七年に結成されたホームレスの自立を応援する市民ボランティアグループ。発起人の一人である福岡救世軍の牧師、齋藤美作さん(69)に活動内容についてお話を伺いました。
ホームレスだけが販売できる雑誌「ビッグイシュー」は一九九一年に英国で誕生。ホームレスに仕事を提供し、自立を支援することを目標に、現在世界七か国で出版されています。
日本版が創刊されたのは二〇〇三年の大阪でした。表紙に著名人を起用してインタビュー記事を掲載。彼・彼女のほとんどが無償で取材に応じています。また、社会問題から映画・コンサート記事まで、幅広く読み応えのある内容で人気が拡大。発行は月二回。東京や京都など、十二都市で販売されています。
福岡では、現在四人のホームレスの人たちがほぼ毎日、天神やJR博多駅周辺の街角に立ち「ビッグイシュー」を販売しています。定価は三百円。このうち、仕入れ値を差し引いた百六十円が販売者の収入になります。
こうした販売を支援しているのが「ビッグイシュー福岡サポーターズ」のメンバーたち。福岡救世軍の牧師を務める齋藤さんが同救世軍小隊会館(中央区平尾)を「ビッグイシュー」の取り次ぎ場所兼事務所として開放したのをきっかけに、大学生や大学教授、会社員、主婦ら約四十人のメンバーが集まって二〇〇七年に結成しました。
広報活動やチラシ配布、イベント会場の出店の交渉、販売場所の確保、販売者への「ビッグイシュー」販売方法の伝授など、活動は多岐にわたっています。
販売には、最初はボランティアが一緒に街角に立って手伝いますが、販売者の中には、知り合いに会うので恥ずかしい、一冊でも売るのは大変だからとあきらめて辞めていく人もいます。
「大勢の前で雑誌を売るのはものすごく勇気のいること。当会館を訪れるホームレスの方の悩みを聞くなかで、この仕事を紹介していますが、やってみようという人が一人、二人と少しずつ増えている状況です」
齋藤さんが「ビッグイシュー」の受け皿を作ったのも長年の経験と知識、奉仕の精神があればこそ。
「救世軍は伝統的に野宿生活者に炊き出しをして弁当を配る奉仕活動を続けています。でも配るのは週一回だけ。果たして、これが助けになっているのだろうか。そんなときに、『ビッグイシュー』を知り、これだと思いました」。ただ物資を与えるだけではなく、ホームレスの方の自立を助け、社会復帰へとつなげることができる。これが本当に必要とされていることではないのか—齋藤さんが福岡に赴任して六年目のチャレンジでした。
今では、定期的にまとめ買いをしてくれる熱心な購読者も増えました。もう一つの成果は、販売者の一人がまじめさを買われて就職できたこと。調理師資格を持っていたことも幸いしました。「彼は一年間、頑張り通しました。コミュニケーションを大切に、買ってくれた人には感謝を詩にして渡していました。頑張れば応援者が現れる。生きようという希望もわいてくる」。後に続く人たちも刺激を受けている様子。昨年十一月から販売者になった一人は「アルミ缶拾いよりも雑誌販売の方が少し収入がいい。気合を入れて、やろうと思います」と意気込みます。月一回のスタッフ会議での活発な意見交換は、販売者とボランティアの間に確かな信頼関係が築かれてきた証拠です。
こうした販売者の努力に応えようと、メンバーたちは衣類調達や洗濯などの手助けに加え、最近は住まいの確保も視野に入れて行動するようになったといいます。
現在、福岡市のホームレスは約八百人。自立という究極のゴールを目指して、齋藤さんやメンバーたちのサポートがこれからも続きます。
※「ビッグイシュー福岡サポーターズ」へのお問い合わせは092(531)7418
PROFILE 齋藤美作(さいとうみさく) 1939年生まれ。新潟県出身。15歳から菓子職人の修業。22歳、菓子職人として働いていた新潟市内で救世軍を通してキリスト教入信。礼拝に通いながら信仰と奉仕活動。3年後、救世軍の士官学校に入学。卒業後は、仙台、桐生、札幌、東京、岡山、前橋と伝導のため全国を回り、6年前に福岡に着任。「ビッグイシュー福岡サポーターズ」発足に関わる。
劇団「海流座」を旗揚げし、地方を旅する米倉斉加年さん。この記事をプリントする
博多座五月公演『放浪記』に出演していた米倉斉加年(まさかね)さんが、七月三日に八女市、四日に熊本県山鹿市、五日に春日市、六日に岡垣町で、昨年旗揚げしたばかりの劇団「海流座」の公演を行います。演目は昨年の東京での旗揚げ公演と同じ『父帰る』と『二十二夜待ち』。米倉さんに、今回の公演に寄せる思いを伺いました。
●海流のように自由な活動がしたい
長年「劇団民藝」の看板俳優として活躍してきた米倉さんが、民藝を退団したのは六十五歳のとき。もっと地方に出かけ、身軽に活動しようと考えてのことでした。昨年七十三歳で、「このままでは死ねない気がして」旗揚げした劇団「海流座」を率いて、地方公演を続けています。
「人間の生きる場所は何にも縛られないのが本来のあり方だと思うんです。海流には国境がありません。海流に乗って移動する魚のように人間は自由でなければいけないと、劇団も『海流座』と名付けました」
演目の『父帰る』と『二十二夜待ち』は、米倉さんにとって、福岡中央高校在学のころに「初舞台」で演じたという思い出深い作品。実に五十七年ぶりのふるさと再演です。
なぜ、今この作品なのでしょうか? 米倉さんは語ります。「二作品の中には、“このままでは死ねない気がした”という思いを支える根源があると思ったからです。新しいものは、古いものより生まれる—そんなことを考えながら稽古してきました」
PROFILE
米倉斉加年(俳優・演出家・画家)1934年、福岡市生まれ。1957年、劇団民藝水品演劇研究所に入所し宇野重吉に師事。2000年、劇団民藝退団。2007年、劇団「海流座」旗揚げ・主宰。役者として映画・テレビ・演劇に出演するほか、演出も手掛け、画家としても国際展で受賞するなど多才。福岡県とのかかわりは深く、各地で講演や朗読会を精力的に行っている。
http://www.masakane.jp/
菊池寛作『父帰る』は近代的な家族が成立した明治時代の話。出奔していた父が二十年ぶりに帰って来たとき、葛藤する家族の姿を描いています。木下順二作の『二十二夜待ち』は村というコミュニティーに入り込んできたならず者と、村人に取り残された年寄りと青年との一夜を描く民話劇。「それぞれ、家族のあり方や弱者排除という現代の社会問題そのものを含んでいます」と米倉さん。
●一般公募で募った 市民も参加
春日市では、今回の『二十二夜待ち』に村人役で出演する一般の参加者を公募しました。集まったのは、春日市、大野城市、福岡市、前原市在住の八歳から七十五歳まで十三人のみなさん。演劇経験者はわずかに三人で、ほとんどの方は初めての体験です。
春日市ふれあい文化センターで行われた公開練習は、五月二十五日と六月七日の二回。米倉さんの息子で、演出家・俳優の上野日呂登さんが指導を行いました。
第一回目の練習は、演劇についてのレクチャーから台本読みまで。上野さんから、偏見を持たずに台本を読み込むことの難しさと面白さを教わりました。参加者の一人で最年長の竹中照子さん(南区在住)は「米倉さんのお芝居を見て感激して、ぜひ間近で見させてもらえたら、と思ったんです。台本読みは楽しくて、参加してよかった」と生き生きと語ります。終了間際に、練習場に米倉さんが顔を見せたことは、参加者にとってうれしいハプニングでした。
「演劇は楽しいものです。感じるままに、自由に動いてください。観客席と一緒に、私たちを応援してください」と米倉さんが語りかけ、参加者はうれしそうに顔をほころばせていました。
春日市の本番は七月五日(土)。生の舞台の素晴らしさに接することができるこの機会をお見逃しなく!
米倉斉加年主宰 劇団「海流座」公演
演目:菊池寛作『父帰る』 木下順二作『二十二夜待ち』
平成20年7月5日(土)13:30開場 14:00開演
春日市ふれあい文化センター スプリングホール
前売3000円 当日3500円 全席自由
※小学生以下は入場無料
お問い合わせ/
春日市ふれあい文化センター
092(584)3366
棚田を守るため、都市住民が農作業。この記事をプリントする
活動の参加者は増え続けています。
高齢化が進み、後継者不足の農家。なかでも、農作業に手のかかる棚田は荒廃が進んでいます。そこでスタートしたのが、都市の住民たちが棚田をサポートする「井原山田縁プロジェクト」です。
●高齢化した棚田 農家を助けたい
のどかな田園風景が広がる前原市の井原山のふもと。この地区の棚田を守るお手伝いを都市の住民たちにしてもらい、収穫した米や大豆などで還元するという、支え合いの仕組みを目指して「井原山田縁プロジェクト」は、二〇〇四年に始まりました。
PROFILE 川口 進 1958年、北九州市生まれ。1983年、福岡県の農業改良普及員になり、減農薬稲作や合鴨(アイガモ)農法などの普及に努める。宗像を中心に地産地消の推進などにも取り組む。2004年、井原山田縁プロジェクトを始める。http://denenpj.at.webry.info/
この活動に取り組んでいるのが、川口進さんをはじめとするスタッフ四人。
「私が福岡県の農業改良普及員として最初に赴任したのがこの地で、減農薬稲作研究会の皆さんにお世話になりました。転勤を重ね二十年ぶりにお会いすると、皆さんは七十歳を過ぎ、後継者がいないと頭を抱えていたんです」。そこで川口さんと農家の皆さんが解決法の一つとして考えたのが、棚田など手のかかるところは外部の人の手を借りて、人海戦術で農作業を行うこと。その具体策が田縁プロジェクトでした。
●初心者でもできる週末農業のススメ
プロジェクトでは毎年春に「米作りサポーター」と呼ばれる会員を公募。年会費は一家族六千円で、米作り期間中、最低一回は農作業に参加することを条件に、収穫した無農薬・有機栽培の「田縁米」五がもらえます。また、参加すると「ギットン券」という地域通貨がもらえて、地元ハーブレストランで使えることも魅力のひとつ。
「条件を厳しくして何回も来てもらうより、自然のなかで農作業することを楽しみに来てもらう方が長続きする」と川口さん。毎回の農作業については、農業初心者でも安心して田んぼに入ることができるようにスタッフが指導します。
●みそ作りやもち つきなども楽しみ
子どもと大人が楽しめるイベントも盛りだくさんに用意しました。六月には梅ちぎり、七月には虫見会、十一月には手作りおにぎりで祝う収穫祭、十二月には自分たちで作った大豆を使う「手前みそ作り」、田縁もち米をつくもちつき大会などが行われています。
スタート時には、サポートする棚田は四十で会員は四十家族でしたが、四年目の昨年は同約一・五になり、会員も百二十家族と着実に増えています。井原山の自然に包まれ、農作業に汗を流す喜びにはまる人も多く、会員の約七割がリピーター。昨年は三十五回参加した会員もいました。
●会員を千家族に 増やすのが夢
順調に見えるプロジェクトですが、悩みもあります。現在は「草取り時の人員の確保」が緊急課題。田植えや稲刈りなど大きなイベントに参加する人は多いのですが、草取りへの参加者が少ないそうです。「一番手がかかるのが草取りなんです。これをきちんとしないと、雑草の種がよその田んぼに流れてしまい、地元農家の方たちに迷惑をかけてしまいます」。今年はさらなる人員確保を目指しています。
とはいえ、除草剤を使わない田んぼのおかげでホタルが増え、見物に訪れる人も多くなったとか。
地主さんから感謝されたとき、自然の中でイキイキと遊ぶ子どもたちを見るときにやりがいを感じるという川口さん。会員を千家族にしてサポートする棚田をもっともっと増やすことが川口さんの夢です。
井原山田縁プロジェクトの申し込み(5月末まで)
郵送:〒819-1137
前原市南風台6-15-11(川口さん)
メール:kabochacha@iwa.bbiq.jp
までご連絡ください。
「食の世直し」を目指して始めた農産物の直売店。連日、大にぎわい。この記事をプリントする
食のゆがみを正したい。そんな思いから農産物直売店「ぶどう畑」を仲間と一緒に開いた農家の主婦、新開さん。子どもたちの食の教育や講演活動で全国を走り回っています。
PROFILE 新開玉子 1944年生まれ。79年からブドウと梅の産直を始める。86年に女性農業者の「みな月会」結成。91年、福岡県女性農村アドバイザー一期生に。98年、福岡県指導農業士に。99年に「みな月会」の仲間五人で「ぶどう畑」開店。2003年、農水省食料・農業・農村政策審議会委員になる。08年4月から月1回「農業塾」を開講。
●農家の主婦たちが始めた直売店
春キャベツや豆類、新ジャガ、タケノコなど季節の野菜であふれる農産物の直売店「ぶどう畑」=南区中尾=。総菜や漬け物、ジャムなどの加工品もずらりとそろい、毎日開店の午前十一時になると、お客さんがどっと押し寄せます。
この直売店は新開玉子さんをはじめ農家の主婦五人が家族の協力を得て、ぶどう畑の一角に一九九九年にスタートさせたもの。農産物や加工品は、九州一円の信頼のおける生産者から届けられたものばかりです。「スーパーや八百屋さんより種類が豊富。土づくりや肥料からこだわって、手間ひまをかけて作った農作物なのでおいしいですよ」と新開さんは胸を張ります。
●お客さんからの感謝の声が喜び
日本の食料の自給率が減り、食料を外国に依存するようになって、日本の食がだんだんゆがんできたといわれます。そこで、立ち上がったのが新開さんとその仲間たち。「農家のおばちゃんができる『世直し』の拠点となる直売店を作ろうと思ったんです」。
イベントの朝市などでの農産物の販売の経験も豊富にあった新開さん。直売店を作るため、家族の了解を得ようと夫に相談してみたものの反対され、説得するのに二年かかったとか。
直売店を始めて、最初は一年間のリズムを作ることに苦労し、五キロやせてしまいました。それでも「野菜がおいしい」「健康になった」「食事が楽しくなった」との声を聞くと始めてよかったと思うそうです。「お客様と生産者の絆が感謝で結ばれる店」を目指して、業績も順調に伸びています。
●「心と技とヘソクリ」の自分磨き
「起業したのは私が五十四歳の時。子育てが忙しい時期は、『心と技とヘソクリ』の自分磨きに努めました」。忍耐力のある心。
梅干作りなど、農産物以外の商品を生み出す技。そして、いざというときのためのヘソクリ。「何かを始めるのに急ぎ過ぎることはありません」と、若いお母さんにエールを送ります。
実は新開さんは若いころは、農業が嫌いでした。「子育てと農業は同じだと気付いたら好きになりました。人間も食物も手をかけないといいものができません。手入れをサボるとしおれるというサインを出し、成長が止まります。手抜きはできないという心の勉強になりますね」。
●四月からスタートする農業塾
「ぶどう畑」では幼稚園で田植え、お団子や梅干の作り方、小学校で田んぼ起こしから米や野菜の作り方などを指導し、中学生の職場体験の受け入れも行っています。
「食物作りを体験すると、どれだけの日数と手間がかかるかが分かります。体験を通して、残さず食べるという習慣も身に付くはずです」。「ぶどう畑」は食を教える役割も担っています。
四月から農業に関心のある方に向けた農業塾が、直売店の二階のホールで行われます。「農作業をすればくたびれるので熟睡でき、自分で作った安全な食物を食べるのは健康にいいですよ。農業は五十歳から始めても決して遅くはありません」と熱く語ってくれました。
●ぶどう畑/福岡市南区中尾二ノ一ノ一 092(512)5020
