物書きの魂を共有して 地域に向き合う金婚夫婦
物書きの魂を共有して 地域に向き合う金婚夫婦
夫は新聞記者、妻は児童文学作家。夫が退職した後は地域活動にまい進してきた夫婦が、金婚式を前に初めての共著を出版しました。夫婦ともに第二の故郷という福岡の筑紫。その戦中の記憶を呼び覚ました著書がいま、静かに反響を呼んでいます。十一月二十二日「いい夫婦の日」を前に送るインタビューです。
●遅咲きの妻
自称「完全仕事人間」の夫は、新聞記者として九州各地を飛び回りました。その妻は夫を支えた…だけではありませんでした。習わぬ経をそらんじる門前の小僧とばかりに、後輩記者を指導する夫の言葉に耳を傾け、四十歳で執筆に挑戦。児童文学作家となるのです。
それぞれが経験を重ね、共に七十代、物書き夫婦歴三十年にして初の共著。『筑紫れくいえむ』は終戦間近の昭和二十年八月八日、西鉄電車が米軍機による銃撃を受け、六十四人もの命が失われた事件を追いました。
「六十年以上たった今も事件について口を閉ざす人がいる。戦争は決して昔の話ではないと思ったのです」と美彦さん。南筑中学(現久留米市立南筑高校)の生徒が高良隊の名で電車乗務に動員されたこと、山家の洞窟に西部軍司令部が移動していたこと。地道な取材を重ねてさまざまな事実を知り、ある結論を導きますが…。
●五十年目のけんか
本の中には時折、夫婦が話し合う場面が登場します。「(事件を)追ってみる?」「時間がたちすぎている。意外性がない」「でも、自分たちが住んでいる町のことよ」。常に社会的意義を問う夫、暮らしを軸に置く妻。互いの感性や視点で論点を整理していくくだりは、読者の意識をも広く深くしていきます。
同じ物書きとはいえ視点もアプローチの仕方も文体も違い、取材・執筆中は衝突を繰り返したそう。その様子を二人は「五十年目の大げんか」と笑います。一方で、ひろ子さんは要所を押さえた夫の取材力に新聞記者の実力を再認識。美彦さんは、惨劇の回想にとどまらず一歩踏み込んだ本になったのは「妻が沖縄戦を取材した思い入れがあったから」と。五十年目のけんかは「五十年目の発見」でもありました。
●NPO活動も二人で
二人は「共にNPOで活動した十年があったから、共著がある」とも。
身近な人が心の病を患ったのを機に、経済的、社会的に閉鎖された精神障害者の状況を知り、筑紫地区精神障害者生活支援センター「つくしぴあ」や作業所の設立に尽力しました。患者とその家族を支え、周囲の無理解と戦う日々に、美彦さんは妻の底力を知ります。
「毎日ご飯を作り、子どもの面倒をみてきた妻は、地に足が着いている。活動が停滞したり、いざという大事なときに揺るがない」
現在、施設の運営は社会福祉法人に一任。一つの区切りを経た夫婦のあらたな出発点、それが共著だったのです。
●理解者、そして仲間
『筑紫れくいえむ』は思わぬ反響を呼びました。福岡市に住む八十七歳の女性からは、突然音信不通になった親友がこの爆撃で亡くなったと知り、六十年を経て胸のつかえがとれたと便りが。高良隊の皆さんは何と同窓会を開いたそうです。
「この本をきっかけに、人と人がつながったことが一番うれしい。さらに戦争や平和について考える人がいたなら、少しは役に立ったのかな」と美彦さん。
すでに次の共著の取材も始めています。題材は、大分県保戸島で起こった米機による小学校爆撃、戦時中の出来事です。そして、二人ともに心の問題という大きなテーマを視野に入れています。
最後に、あらためて質問したくなりました。よわい七十を越して、一つのことに同じ志をもって取り組める。そんな夫婦でいられる秘訣は何ですか?
ひろ子さんが「取材や執筆で家事がおろそかになっても何も言わない夫は、最大の理解者にして同志、そして仲間です」と言えば、美彦さんは「互いに独立した人格ですから。僕は酒ばかり飲んでいたが、今も元気なのは食事なんかがよかったんでしょう」と語ります。独立した人格として互いの人生に影響し合い、今の自分がある。そして、夫婦の間にあるのは、月並みですが「感謝」という淡くも確かな気持ちに違いありません。
写真:「つくしクローバー会」は11月4日、5日に行われた
「西日本新聞暮らしの文化祭2008」にも出展
■えりあす内 関連記事
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
コメント 0件
記事について思ったことをコメントできます
(承認されるまではコメントは表示されません。しばらくお待ちください。)

