北京五輪へ。地元・福岡の応援を追い風に青島の海を走る!
「念願のオリンピック。今からワクワクしています」。笑顔で語る石橋顕(あきら)さんは、牧野幸雄選手とともに北京五輪のセーリング49er級に出場します。三大会目の挑戦での切符。その陰には、大きな企業の支援もなく個人で五輪出場を目指す彼の熱意に動かされた、地元・福岡の友人たちの支えがありました。幾多の人の思いを力に変えて、五輪へ挑みます。
●届かなかったアテネ
「ヨットに初めて乗ったのは修猷館高校に入学した春、部の勧誘で。ヨットは風の力だけで走る。動力音もなく、スーッと海の上をすべっていく感覚が、不思議でした」
このとき、入部の決め手になったのは「初心者が多く、部をもつ高校が少ないヨットなら、インターハイも夢じゃないと思って」。大舞台へのあこがれは、少年のころから強かったのかもしれません。
負けず嫌いと悔しさを力に変える性格から、メキメキと頭角を現し、石川国体では少年男子FJ級優勝も。早稲田大学ヨット部を経て、就職。配属された宮城県では国体強化選手に。しかし、あくまで「高いレベルでの仕事とヨットの両立」を柱としていました。
その価値観を、オープン参加した九九年の世界選手権で覆されます。初めての国際大会、世界のトップとのスリリングなレース。「彼らは、その場で結果を残すことに懸けている。自分もすべてを懸けて勝負すれば、五輪も世界も夢じゃない」
会社を退職。アルバイトをし、貯金を崩し、チームのTシャツを作って販売しての資金調達。まさに総力戦で目指した五輪出場ですが、〇二年の世界選手権470級で十一位に入り、自ら日本の五輪出場枠を勝ち取るも、代表の座を逃します。
大きな挫折、喪失感。
そして〇五年、故郷の海へ戻りました。
●チーム・ビリーブのサポーターは世界
石橋さんは世界トップ10のレベルに達していた470級から、未知の49er級に転向します。新しいパートナー、牧野選手とともに、北京五輪出場とメダルを目指してチームを結成。支援してくれるすべての人と一緒に、との思いを込めて名前は「Team Believe」。
ヨットが盛んな福岡市は、練習の環境は整っています。課題は、三百万円はするという艇の購入費や海外遠征のための資金繰り。ここで博多っ子の熱き心が彼を支えます。母校・修猷館の同窓会が中心となって後援会を発足し、Tシャツ販売などの資金援助の活動を展開。人が人をつなぎ、地元企業の支援も増えました。また、ホームページで活動を知り、Tシャツを買う人も。「こんなに心の熱い、多くのサポーターに支えられた選手は、世界にもいない」と石橋さん。支援の輪はいまも広がっています。
●四月に国際大会初優勝上り調子のまま北京へ
転向して三年目の昨年末からレースで手応えを感じるようになり、今年一月に行われた世界選手権では日本人最上位の二十七位。ついに悲願の五輪日本代表候補に。四月の国際大会では初優勝。「レースのたびに上達しているのを感じる」。世界ランク二十七位は五輪出場国の中ではほぼ最下位ですが、上り調子の今、「ハイレベルの戦いは何が起こるか分からない。目指すのはメダル」と、目を輝かせます。
「僕はアテネへの切符を逃したときに一度、モチベーションもやる気もすべて失いました。北京に向けて動き出せたのは、人との出会いのおかげだったと思う。僕は一人じゃない、家族や多くの人に支えられている。福岡代表という思いをもって、熱い気持ちで最後まで戦ってきます」
北京五輪、セーリング49er級のレースは八月十日から始まります。
PROFILE
石橋 顕 1973年、福岡市生まれ。修猷館高校、早稲田大学でヨット部に所属。就職するも99年、オリンピック出場を目指すために退職。02—04年470級の日本代表。05年に49er級に転向。熊本県出身の牧野幸雄選手とペアを組み、Team Believeを立ち上げる。北京オリンピック・セーリング49er級の日本代表。福岡ヨットクラブ所属。http://believe49er.net/
セーリング49er級
ヨットの全長が4.99mあることから「49er(フォーティーナイナー)」と呼ばれる、2人乗りの競技。時速約45kmの高速で、風下と風上に浮かぶ2つのマークを回るコースを2周して着順を競う。
1日3—4レースを数日間行い、総合順位でチャンピオンが決まる。
※北京オリンピックのセーリング競技は8月9日—21日の予定、会場は青島。
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
コメント 0件
記事について思ったことをコメントできます
(承認されるまではコメントは表示されません。しばらくお待ちください。)

